Once In Royal David's City《むかし、ダビデ王の町に(ダビデの村の)》Gauntlett
キングスカレッジにおける2013年礼拝での様子
Once in royal David's city
Stood a lowly cattle shed,
Where a mother laid her Baby
In a manger for His bed:
Mary was that mother mild,
Jesus Christ her little Child.
むかし、ダビデ王の町に
みすぼらしい家畜小屋がありました。
そこであるお母さまが赤ちゃんを寝かせました、
飼い葉桶を寝床にして。
それは優しいお母さまのマリアさまと、
その幼い御子イエスさま。
He came down to earth from Heaven,
Who is God and Lord of all,
And His shelter was a stable,
And His cradle was a stall;
With the poor, and mean, and lowly,
Lived on earth our Savior holy.
イエスさまは天から地に降りてこられた、
全てのものの主なる神である方が。
その宿るところは馬小屋で、
そのゆりかごは馬房(ばぼう)でした。*1
貧しく、蔑(さげす)まれる、身分の低い人として、
聖なる救い主は地上で暮らしました。
And, through all His wondrous childhood,
He would honor and obey,
Love and watch the lowly maiden,
In whose gentle arms He lay:
Christian children all must be
Mild, obedient, good as He.
驚くべき子供時代のあいだ、
イエスさまは敬い、従い、
愛し、守りました、身分低いおとめを、
そのおとめの優しい腕の中で眠ったのでした。
キリスト教徒の子供たちもかくあるべし、
優しく、素直な、イエスさまのような良い子に。
For He is our childhood's pattern;
Day by day, like us He grew;
He was little, weak and helpless,
Tears and smiles like us He knew;
And He feeleth for our sadness,
And He shareth in our gladness.
わたしたちの子供時代と同じように、
日に日にイエスさまは育ちました。
小さく、か弱く、助けもなく、
わたしたちと同じ涙と笑顔を知っている。
わたしたちと同じ悲しみを感じ、
わたしたちと同じ喜びをわかちあいました。
And our eyes at last shall see Him,
Through His own redeeming love,
For that Child so dear and gentle
Is our Lord in Heav'n above,
And He leads His children on
To the place where He is gone.
そしてわたしたちの目は遂にイエスさまを仰ぐ、
わたしたちをあがなう愛を通して。
その愛らしくも心優しい幼子こそが、
天上に居られるわたしたちの主だからです。
主は子供たちを導かれる、
主の行かれたところへと。
Not in that poor lowly stable,
With the oxen standing by,
We shall see Him; but in Heaven,
Set at God's right hand on high;
Where like stars His children crowned
All in white shall wait around.
かの貧しくみすぼらしい馬小屋、
牛たちが囲むところではなく、
イエスさまが天国に居られるのをわたしたちは見る、
高きにいます神の右に座しておられるのを。
その時子供たちは星のようにイエスさまを囲み、
白い衣を着てまわりにはべるでしょう。
*1 馬小屋(厩舎)の中で、馬が一頭ずつ入れられているお部屋をこう呼ぶ。
text: Cecil Frances Alexander(1818-1895)
tune: Henry Gauntlett(1805-1876)
その頃、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
(ルカによる福音書 2:1-7)
なお、この皇帝アウグストゥスとは、高校世界史に必出のローマ帝国初代皇帝オクタウィアヌスその人である。
オクタウィアヌス
1~後1世紀、カエサルの遺言によって養子に指名され、アントニウスなどと争い、最終的に権力を獲得、前27年にアウグストゥスの称号を贈られてローマ帝国初代皇帝となった。
www.y-history.net
歌詞は、アイルランドの英国国教会主席主教夫人であったアレクサンダー夫人が編集した子供向けの詩集から。日本語訳詩は「ダビデの村のうまやのうちに……」あるいは「ダビデの村ざと…」などで始まる。
ベツレヘムは英雄王ダビデの父エッサイの出生地とされ、ダビデゆかりの由緒正しき町であり、救世主はここで生まれると信じられていた。ではさぞや大都会なのかというとそうでもなく、ミカ書に「いと小さき者」と名指しされる程度にはごく小さな町だったようで、日本語訳で「村」と表現されるのも決して理由のないことではない。そこに住民登録のために大勢の人間がつめかけたせいで、宿屋も親戚の家も満杯になってしまい、ヨセフとマリアは仕方なく家畜を入れておくスペースに泊まったのである。
イギリスではクリスマス礼拝の定番曲で、第一節の歌詞をソロの見せ場とする。フィリッポ・リッピ(c.1406-1469)
「聖母子と二人の天使(ウフィツィの聖母)」
King's College Choir, Cambridge/Stephen Cleobury/Benjamin Bayl/Edward Moore/congregation
収録アルバム: A Festival of Nine Lessons and Carols
おまけ:讃美歌第469番および古今聖歌集第26番では「ダビデのむらのうまやのうちに…」で始まる日本語訳詞があるが、まったく同じ歌詞というわけではない。
古今聖歌集第26番:
ダビデの村の
厩(うまや)の内に
おわする御子と
御母とを見よ
御母はマリヤ
御子はイエスきみ
万(よろず)の人の
君にいませど
厩の内に
生まれ給いて
賎(いや)しきものの
うちにい給う
今イエスきみは
うまやにまさで
父なる神の
右にいまして
よろずのものを
治めますなり
愛の君をば
我らも愛し
良き事成さば
ついに楽しき
み国に昇り
君にぞまみえん
ダビデの村の
厩(うまや)の内に
おわする御子と
御母とを見よ
御母はマリヤ
御子はイエスきみ
万(よろず)の人の
君にいませど
厩の内に
生まれ給いて
賎(いや)しきものの
うちにい給う
今イエスきみは
うまやにまさで
父なる神の
右にいまして
よろずのものを
治めますなり
愛の君をば
我らも愛し
良き事成さば
ついに楽しき
み国に昇り
君にぞまみえん
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